いつ来るか分からない大地震。備えておくべき物は。体験者が語る②

3.11時、車のガソリンの残がカスカスでした 答えは記事の最後で

今日11日早朝千葉県木更津で震度5強発生。日本各地で頻繁に強い地震が起きています
先日5月5日に石川県珠洲市震度6強が起きたばかり、被災された方お察しいたします。所によっては家が倒れたり、電気・水道がストップ、今も後片付けで大変かと思います
この記事を書いている5月11日夕方にニュース速報。今後は北海道日高・十勝で震度4。どうなってしまったのか?日本列島。


東日本大震災で私の大変だったこと②

地震が起きたその時から、停電、断水。断水に関しては先日お知らせした通り。
停電になると電車がストップ。地方に住んでいる私は車がライフワークに必須です。
しかし震災当時のマイカーのガソリンの残りは10%ほど。カスカスです。我が家は軽自動車を2台所有していましたが1台で行動。長距離はできません。
翌日ガソリンスタンドに行くと閉店。当然ですね。停電ですから。
その後ガソリンを10リッターだけ売ってくれるスタンドが現れたが、大渋滞。限られた店だけなのでガソリンを求めて数十台が殺到。
私の記憶では10リッターを求めて最低5時間。後日別スタンドで最長7時間列に並びました。何回並びましたかね?エネオスや出光のタンクローリーを見るとなんと頼もしかった思いがあります
車を使うのがもったいないので登山用の大型ザックを背負いひたすら歩き、食料を詰めてまた歩くといった生活をしていましたね。だってガス欠で乗り捨てられた車を何台か見ました。路上で止まってJAFを呼んでも無理なのでしょう。だから私は乗りませんでした。止まった車を取りに行くのも大変です
これはあくまでも個人の考えで自由ですが、今の私の車のガソリンは半分減ったら満タンに補給しています。
あんな苦労はしたくありません。地震の多い宮城ならではです。
いつ来るか分からない大地震。備えておくべき物です

実は私が20歳の時、宮城県沖地震を経験しています

1978年(昭和53年)6月12日(月曜日)の17時14分25秒に宮城県沖で発生したマグニチュード7.4
当時私は居酒屋で仕事をしており、近くには40㎝位の揚げ物の鍋と焼き物の焼き場にいました。「大きいぞ」と同僚の言葉。その直後激しい揺れが起きました。
油が入った鍋からは熱した油が溢れ、焼き場の足が折れ片膝をついたような状態でいつ火の付いた炭が床にこぼれてもおかしくない状態でした。
当時ビルの1階で営業していましたが、お客様は1組。窓越しに外を見るとビルから剝がれたと思われるコンクリート片が無数落ちてきました。これはただ事でない地震と気が付く。
信号機が付いていない道路をバイクで買えり、自宅に帰ると停電のためかローソクがともっていた。全国からたくさんの方が来て復旧が早かった思い出がある。店も開店しお客様で大阪からいらしたガズ会社の方がお見えになりました。ガス関係が最優先だそうです。確かにサイレンを鳴らしている緊急車両を見ますものね。
この地震で死者28名(内倒れたコンクリートブロックで亡くなられた方が18名)
津波が来なかったのは本当に幸いでした。

携帯用ガソリンタンクを持っている方は並ばず入手できていました

 

しかし、令和元年の京都のアニメーション放火事件以来、ガソリンを容器で販売する際の販売記録を残すなどの規制が厳しくなったため、震災とはいえ簡単に入手できないかもしれませんね。

次回第3弾 いつ来るか分からない大地震。備えておくべき物は。体験者が語る を書きます