鳥山明の若き日のエピソード

2024年3月1日
急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳 

早すぎる死でした。

鳥山明の若き日のエピソードが新聞に掲載していたので紹介しよう

* * * * * * * *

 

「愛知県在住の画家・堀尾一郎氏が、県内の高校で教員として勤めていた時のこと。

一人の生徒が、おそるおそる声をかけてきた。

「漫画研究会の顧問になってくれませんか」

後に人気漫画家となる、若き日の鳥山明である。

当時、漫画への理解が浅かった堀尾氏は要請を断った。

だが、鳥山明は諦めなかった。別の教員に顧問を依頼し、同好会を発足させる。

堀尾氏は述懐(じゅっかい)している。
「漫画は芸術ではなく、娯楽とみなれる時代だったが、彼には信念があった」
(3月9日付け中日新聞

日本漫画を、世界に冠たる文化へと押し上げた烏山氏。
今月、訃報が伝えられると、国境や世代を超え、数多くの惜別の声が寄せられた。

そのこと自体が、アニメ界に計り知れない功績を残したことを物語る。

芸術や文化は「人間性の発露」だ。

漫画にもまた、作者のいきざまや心が反映される。
ドラゴンボール」をはじめ、烏山氏の作品が今なお数多くの人を魅了してやまないのは、氏が漫画への一途な情熱に生き抜いたからであろう

若き日の熱い思いのまま、生涯を歩む人は幸福だ。

夢や目標へ前進する途上には、挫折や葛藤もあるが、それを乗り越えようとする執念と努力が自身を鍛え、消えない心の財産になる。」

2024年3月16日聖教新聞「名字の言」より引用

私は先月66歳になりました。私の父親は軍人でした。友達の父親は復員兵だらけで戦争と言うものがまだ色濃く残っていたころです。小学校の先生方も戦争で指や足をなくされた方が教壇に立ち、先生が教室に竹刀を持っているような時代でした。こんな同じ時代に生き、昔が懐かしいです

当時の中学時代は一クラス50人、15クラスありました。
競争が激しく、勝ち進んでいくには、食べ物や塾などが少ない時代、勉強やスポーツでも、並大抵な努力と忍耐が必要でした。ましてやいじめられて学校に来なくなった生徒は記憶にありません。昔の親は怖かった。あまり話したり、遊んだ記憶がなく、背中をみていたようでした。

そんな時代に漫画に夢中になり青春を謳歌していたんですね。
漫画は絵がうまくとも内容が無い。また内容が面白くとも絵や表現力が無い。など、どちらも長けていないと読者の心に響かない。

エジソン曰く「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。 天才には結局1%のひらめきが必要なのだという解釈と、天才には多大な努力が必要なのだという解釈の両方がある」

鳥山氏はどちらかを実践しているように思う。

もうちょっと生きて面白い漫画を書いてほしかったな。
ご冥福をお祈りいたします。